御嶽道 金峰山を頂点とした山岳信仰の道
その昔金櫻神社の地域は「中巨摩郡宮本村御嶽」で中巨摩郡でした。今は甲府市に編入して「甲府市御岳町」という地名になっています。
そこで金櫻神社の歴史を調べていくと山梨県甲斐市(旧中巨摩郡です。)の資料に色々と記載されていることが分かりました。
今日はその中で「ふる里自然観察路ガイドブック 甲斐市」甲斐市環境経済部商工観光課 発行の記事を一部ご紹介させていただきます。
御嶽道 金峰山を頂点とした山岳信仰の道 金峰山は、平安時代に信仰の山として開山し、山頂直下にそびえる五丈岩(高さ約15m)の根元に蔵王権現をまつり、修験道の道場となりました。古代から中世は修験道の場として栄え、特に南北朝鮮時代には、吉野大邦に擬して全国の山伏・修験者たちが入峰修行したといわれています。そして、そこへ参詣するための道を御嶽道と言います。 「甲斐国志」によると、江戸時代には参拝のための登山道が9か所あり、それぞれに里宮が設けられ、賑わったと伝えれれています。【南口は、吉沢、亀沢(甲斐市)、塚原(甲府市)、杣口(山梨市)、西口は、逸見筋の穂坂(韮崎市)、江草・小尾(北杜市)】 御嶽道に通じる道 甲斐市内の古い道標などには「右御嶽道」と刻まれているものもあります。
また「龍王村史」(昭和30年3月発行)の「第三編交通・通信 第一章 交通 第二節道路」の項目には、「御嶽道」として「当地方より御嶽神社に通ずる道にして、龍王より下今井に至る途中より狐塚を通り、龍王新町赤坂に出て俗称二軒茶屋より東に入り、二ッ塚を経て登美村滝坂組より山手を横添いに敷島村境組に出るもの。」という記述もあり、甲斐市内各地から御嶽道につながる道がありました。